鬼の居ぬ間にフットレスト
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なんじゃもんじゃ
固定概念は恐ろしいものだ
お好み焼き屋でもんじゃを頼まなかったら
もんじゃ焼は?と聞かれた
いつ頼んでもいいだろうクソババアという名言を堪えて
「後で頼みます」といった僕は大人の階段を一歩ずつ登っている。
この他にも固定概念というのは腐るほどある。
親戚でもそうだ。
「もう大学も出たんだし結婚しないの?」
って定職就いてないやつが結婚できるほどこの世の中甘くないって誰が酔っ払うたびに言ってんだよ殺すぞ!の世界
- 男だから立ちションベンをする
- イチゴだから絶対甘い
- メガネかけているから目が悪い
これらすべて固定概念
結局この固定概念があるおかげで危険察知ができていることもある。
ふらふらした車を見れば酔っ払い運転か?眠いのか?と推測できるし
電車でゲボを吐きそうな人を見たら遠くにいれば二次被害に遭うことを避けられる。
でも、何かを始めるときや誰かに伝えるときには固定概念が邪魔になる。
そして固定概念以外のことで目的へ向かう人を「変人」と思う。
大学在学中にタブレットと教科書はPDFファイルで授業を受けていた。
今ではうちの大学で多くの学生・教員がiPadを始めとするタブレットを持っているが当時は数名だった。
学内にWi-Fiが通っていなかったので個人でモバイルWi-Fiを契約していた。
大学はどのようなスタイルで授業を受けてもいいと思っていたけどそうではなかった。
結局教員たちは固定概念にとらわれて僕がタブレットを使うのにいい顔をしなかった。
しっかりと嫌な顔をしてくれた教員は一人だ。
なんなら授業終わりに「あんなものしまいなさい」とまで言ってきた。
使用用途を説明しても理解してくれない。
固定概念に縛られている人間の日本代表だった。
今ではどうだろうか。
別に恨みを持っているわけではないし、他の学生がタブレットを使っているのを怒れというわけでもない。
結局のところ勉強なんていう道徳に近いものに正解はない。
書いて覚える人がいれば見て覚える人がいる。
大事なテストの時にしっかりと点数を取れたものが「勉強できる人」になる。
でも、それは正しい。
スポーツでも大事な大会やタイトルで結果を出せれば「スポーツができる人」になる。
運動会でかけっこが速かった子がモテる時代は終わった。
だけどかけっこが速かった子はカッコよく見えてしまう。
それも固定概念だ。
固定概念を捨てよう。
ちなみに高校時代は50m 5.8秒
体育祭でも人気者ではなかった模様。
星野源をごり押しして雨が降っているので雨音を。